目標は標準体型

デブが標準体型を目指すブログです。

7/14

体重を測り忘れた。

本日久々の職場復帰であった。職場に持っていく詫び菓子や、カバンの整理などに気を取られて体重測定を忘れた。しかし今日の体の感覚からすると、74.8㎏だ。ここ半年ほど体重を測り続けて体の感覚から大体の体重がわかるようになってきている。

 

ウォーキングをしていた頃(3,4日前)は浮き輪肉もずいぶんとましになっていたのに、少しさぼると浮き輪肉がわらわらと戻ってきた。腰痛があるので、プールで泳ぐなどが一番いいのかもしれないと思っているが、塩素で肌が荒れるのも嫌だ。デブはわがままなのだ。わがままだから、デブになるともいえる。

腰痛ベルトなどを巻いてウォーキングをしたりもしたが、ベルトを外すと腰痛が増強するということもあったため、現在はストレッチのみをしている。

朝に20分のストレッチ。カロリー消費は10-20キロカロリー程度のはず。その後職場で走り回る。個人防護具を着て汗だくになる。しょうもないナースコールのたびに個人防護具を着るのは苦痛だ。お願いだから、「どうされました?」と聞いたらちゃんと答えてくれ。イライラするのも多少のカロリー消費にはなっているだろうと思い、耐える。家に帰ってストレッチをする。ワンピースを読む。気づけば寝る時間。

 

朝食はプロテインおかゆとヨーグルト。500キロカロリー前後。昼食はママ手作りお弁当、500キロカロリー前後。夕食は豆腐と卵スープ。200キロカロリー前後、合計1200キロカロリー前後で収まった。だが運動消費がカス過ぎる。早く腰痛が治ればいいのにな。

デブの人生

標準より体重が軽かったのは生後1週間まで。それ以降はずっと、ずっとずっとデブとして過ごしている。

一人っ子であったし、親戚も近くにいなかったことから、母親だけではなく祖母の愛情も一身に受けてたくさん食べさせてもらった。3歳のころにはどんぶり一杯のおかゆを食べたし、毎日ヤクルトをたくさん飲んで、ヨーグルトをたくさん食べた。ジャンクフードは体に良くないということで、たくさんお米を食べさせてもらった。米米米パン、麺麺麺米パン米パン米米米、たくさんの炭水化物を食べて幼稚園の頃にはぽっちゃり、小学生にあがるころには立派な肥満体系になり果てていた。

肥満体型であることが幼い頃から酷くコンプレックスであった。どうしてこんなに太らせたのと親を酷くなじったこともある。自分で食べて自分で栄養を吸収しまくっていたのに。わんぱく相撲に誘われた時には頭がおかしくなりそうであった。その時はまだ小学校の低学年で、その頭がおかしくなりそうな感覚を言語化できず、ヤクルトをがぶ飲みし、ウィダーインゼリーをすすり散らかした。ガリガリのミイラみたいなやつが出場しているのを見て、このミイラが勝ってくれれば、今後デブがわんぱく相撲に誘われることはなくなるのではないかと期待し、誰よりも応援したものである。しかしミイラはデブに負けてしまった。そして私は翌年もわんぱく相撲に誘われた。

デブだからいじめられたこともある。どうしてこんなことを…とは思いつつ、生来の控えめな性格もあって我慢していた。我慢しきれなくなった時に、この巨体を利用し、馬乗りになっていじめてきた相手を殴った。この時ばかりはデブでよかったと思った。圧倒的体格差であったから、下敷きになった男は一切抵抗できなかった。デブでよかったと思ったが、デブでなければ、こんな悲しいこともしなくても良かったのであろうが。

何度かダイエットをしようとしたこともある。幼少期は「中学生になったら勝手に痩せるよ」を信じ、思春期になれば「高校生になったから勝手に痩せるよ」「恋をしたら勝手に痩せるよ」を信じた。嘘だった。痩せない。1キログラムすら痩せない。また母や祖母を嘘つきとなじった。

高校生のときに、引っ越した加減で通学時間が20分から1時間に引き伸ばされた時は疲労からか、するすると体重が落ちた。163センチ、60キロ。筋肉も多い方であったから、まだ、ぽっちゃり体型に片足を突っ込んだような普通体型になることができた。しかし続きはしなかった。

ある公立大学の法学部に行きたかったが、落ちた。浪人生活の始まりである。自宅浪人を選択したが、あまり成績は伸びなかった。私は成績が伸びないという罪悪感+罵倒に強いストレスを感じ、バカ食いした。そして、早朝のコンビニバイトに出る以外は動かなかった。見事にぶくぶくと太った。この時、ピルを飲むようになった。私は副作用で食欲がとまらないと偽り、食べまくった。一気に70キロ台に躍り出た。

センター試験の結果は7.5割、初年がセンター7割であったため、たったの0.5割しか成績は上がらなった。体重は10キロ増えた。体重の増減で合否が決まるのであれば私は東大にだって入れたな。

私の1年はしょぼかった。そして結果、全部の大学に落ちた。ひどく悔しく、わんわん泣いた。そして食べた。1日で10キロ太ったんじゃないかと思うほど食べた。そして、二浪を決意した。

二浪目ももちろん自宅浪人であった。二浪が終わる頃には、76キロになっていた。

しかしまた全ての大学に落ちた。その時、あばれる君のパートナーが看護師として働き、あばれる君を10年支えたという話を聞いた。成人男性を養えるのか…看護師なら食うのに困らないか…そんな短絡的思考で看護師になろうと決意した。

三浪目に突入しようとしたが母に泣かれたのでやめた。その年の、2月でも受験できる専門学校に総当たりし、無事看護専門学校へ進学することができた。脂肪が全身にどっぷりとついた異形のモノであったが、ある教員に目をつけられ、発達障害となじられ、あわや実習を落とされそうになった以外には差別にも遭わず実習をクリア、体重の増減を繰り返しながら無事国家試験も合格した。

入職した職場では「バカか」「看護師やめろ」「価値がない」「カス」「人殺しになりたいんか?犯罪者予備軍が」となじられ、無視をされ、ミスをすれば翌日には10割増しで広がり呼び出され、理由を説明すれば「言い訳できるぐらい偉くなってんなあ?じゃあもう教えてもらわんでいいなあ?」と脅され、理由を説明しなければ「状況説明もできないのか」と責め立てられた。ほかにもいろいろとあり精神的に参ってさすがに15キロ痩せたが、3年かけてしっかりと失った脂肪は取り返した。理不尽に慣れるすべも覚えたため、現在もその職場で働いている。

 

今現在までデブとして生きているが、痩せようと試みたことがなかったわけではない。ノースリーブのシャツや、膝丈程度のスカート、ワンピースも着てみたい。人並みにおしゃれをしたい。そいう願望があった。いや、今現在もある。

絶食をしてみたり、水分をたっぷり取ってみたり(前世がカバであり水を常時3Lぐらいは飲むので当時は5Lぐらい飲んでいたと思う)、ジムに通ったり、野菜ファーストを徹底したり、歩き回ったり、りんごだけで空腹を凌いだり…しかし続かない。最高で1週間、最低で1日。根性がない。ここまで私の半生をざっくりと書いて振り返ると、圧倒的に根性が足りないのだ。それに加えてストレスでバカ食いしてしまうタイプであるから、ダイエット→ストレス→バカ食いの構造が出来上がって全く痩せなかった。(言い訳を書いてしまった。言い訳ができるぐらい偉くなったわけではないのだが、つい…。)

今この記事を書いているときの体重は74㎏。MAX体重はつい1週間前までの76㎏。なんとかして、今年中に10㎏は痩せようと思う。

適度に更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

はるこ 26歳 女性

身長163㎝・体重74.5kg